地形から水戸の魅力を考える

 平成29年3月18日水戸市五軒町の市民センターで開催された講演の要旨をまとめて発表した資料です。本文の後に講演資料を掲載しました。

水戸の地形≫

 地形は歴史の足跡です。水戸の歴史は那珂川の流れに沿ってその足跡を見ることができます。日が昇る東の下流から吉田神社、上市東端の水戸神社、愛宕山古墳・曝井、渡里廃寺跡、大井神社が位置します。縄文時代那珂川の下流域は海水が遡上した海域で、その足跡は千波湖畔の柳崎貝塚に面影を残しています。現在でも海水の干満差が渡里地区付近まで及ぶことがあります。

 水戸の地形は那珂川など河川の浸食により台地と低地が明瞭に二分化されました。台地は古東京湾の時代にあたる12万年の海進の時代に山地から流れてきた土砂が堆積しました。水戸近郊では砂やレキを多く含む土砂が30m前後堆積しました。

 低地はどのようにしてつくられたのでしょうか。台地がつくられた後、氷河期に入り水域は後退し、また地盤は隆起しました。10万年前から1万年前の寒冷な時代、那珂川は急流となり、川底を削り谷が山地へと後退しました。その深さは駅南で40mですが千波湖西側では10m程に止まりました。その後温暖な縄文時代になると海水が現在の湿地帯まで遡上しました。遡上に伴い泥も一緒に堆積させました。やがて海水は後退して現在の水面に達しますが泥はそのまま残りました。海水が引くと那珂川の流れが勢いを増し、上流から運ばれてきた土砂は低地に堆積します。大野地区、城東地区は洪水のたび土砂が運ばれ自然堤防をつくり陸化しました。やがて上市の東辺の崖下と吉田台地の崖下に土砂が溜まり水はせき止められて千波湖が出来ました。台地の崖は那珂川氾濫の足跡です。崖下からは土砂に蓄えられた地下水が湧き出し低地に流れています。低地は那珂川の水と台地からの湧き水、それから海水との水のせめぎ合いで湿地帯を形成しています。

水戸のまちづくり≫

 諸説有りますが、歴史から見て土地整備と言う概念が生まれたのは江戸時代以降と言われています。水戸藩の場合、城下を整備するため上市の町人を田町越えと称し下市(現本町周辺)に移住させます。そのためには湿地の排水整備をしなければなりません。排水整備は「備前堀」として1610年から行われ、田町越えが始まったのは15年後で、如何に湿地帯の整備が困難であったか覗えます。移住した後大きな問題がのしかかってきます。目の前にある水が飲用水として不向き、そのため台地から湧き出す清らかな地下水を確保する事となりました。当初下市に隣接する常照寺の谷から湧き水を配水しましたが流れが急勾配で配水が制御出来ませんでした。その後検討を重ね田町越えから37年後の1962年に笠原水道の施工に着手して無事完成しました。僅か1年半で完成した笠原水道。現場をまとめた永田家二代にわたる技術の継承は見事でした。

 上市の台地は東西に延びる舌状台地です。地形を詳細に観察すると水戸藩のまちづくりが見えてきます。武家屋敷は北側に配置しました。これは北側が僅かに高く雨水排水や北から吹く風から町並みを守るためです。また大切なのは東や南から射す陽光により町並みを繁栄させる事です。台地上に幾つかの窪みがあります。窪みの両端は谷地形をつくり、その崖下からは湧き水が流れ出ています。お堀はその谷を結び両端から掘り進みました。堀の深さはローム層の厚さを考えて台地面で4〜5mです。当時を偲ぶ堀跡は旧県庁前のお堀だけになりました。元々お堀だった水郡線、旧6号線は近代化に伴い新たに両端を水平に削ったのでしょう。

 上市の人たちの飲用水はどうしたのでしょうか。みんなが井戸水を利用したと思えません。上市の井戸は砂れき層を掘らないと水がとれません。多くの庶民は崖下の湧き水を利用したと推察します。その名残が数多い坂です。坂の先は水辺、その水辺の手前にある湧水を利用したと思われます。上市の人たちは毎日桶を持って水くみしたのでしょう。坂の名称からその地の思いがたどれます。

台地と低地を結ぶ≫

 水の豊かさはその地の魅力の一指標となります。水戸の湧き水の大半は雨水が地中に浸透して、数十年という永い年月をかけて湧き出します。その間地層からミネラル分を溶出して水質が決まります。また浸透した地下水は蒸発します。その蒸発を抑えるのが草木、水田です。水戸市郊外はこれらの条件が整うように古来水環境を大切にしてきました。

 千波湖周辺は国で認める重要湿地に選ばれました。水辺環境は台地と低地を結ぶ辺です。辺は斜面、地形地質と水の歴史を現しているだけでなく、私たち人間社会の歴史もこの斜面に埋もれています。低地の水はその斜面から湧き出す地下水です。湧き水を大切にして、人の手でより良く制御する事が生物多様性の原点です。桜川の好文橋上流の未整備地区、沢渡川の常磐大学下流域の湧水群を調査して自然な水の流れをつくり千波湖に導水したいです。また逆川の湧水は桜川をパイプラインで備前堀に直接導水することです。ブラタモリで言っていましたね。「水戸のひとは有る資源を活用」それはこの地に誕生した湧き水の活用から始めたいです。

講演スライド資料

国土地理院発行より転写

国土地理院発行より転写

国土地理院発行より転写

水戸商工会議所 水戸の城下町マップより転写

地盤図茨城県より転写

国土地理院発行より転写

水戸商工会議所 水戸の城下町マップより転写

地盤図茨城県より転写

国土地理院発行より転写

水戸市水道展示

国土地理院発行より転写

水戸の水道史から転写

水戸の水道史から転写

水戸の水道史から転写

水戸市図書館資料集から転写

水戸の水道資料から転写

水戸の水道史から転写

水戸の水道史から転写

水戸の水道史から転写

国土地理院発行より転写

Googleマップから転写

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